こひつじ幼稚園

こひつじ園だより 1月号

こひつじ幼稚園聖句

 「光の子として歩みなさい」

エフェソの信徒への手紙5章8節

年主題    あふれる愛
月主題    気づきあう
今月の聖句  『見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。』
詩篇133編1節

新しい年となりました。新年も神さまの祝福がみなさまの上に豊かにありますように。
さて、年明けに子どもたちが暗唱するのは詩篇133編「都上りの歌」です。バビロン補囚によって離散した民が、再びエルサレム神殿に参詣出来る喜びを歌った連歌です。
「兄弟たちが一つになって座っている」光景や思いを新たに神殿へ参拝する姿は、日本のお正月風景をも連想させます。
近年、日本では子どもたちは結婚をすると独立してそれぞれ父母の家を離れることが一般的になっていますが、旧約聖書の時代も通常はそうであったようです。時々は、親の世話をしながら暮らす若者たちもいたようですが、それも現代の日本と同様ですね。家族団欒を「共に座る」と表して「なんという恵み、なんという喜び」と歌っています。
年に一度位、お正月に実家に帰り、兄弟姉妹が顔を揃えるということがあるかもしれません。大人になれば、家族ばかりに限らないでしょう、本当に親しい友人は皆「兄弟」も同然、それ以上かもしれません。打ち解けた仲間たちと心ゆくまで過ごす時間は、宝のようにも感じられます。人生のこの上ない価値をこの詩編は歌い上げているのです。
ところが、人の座る(住む)この世界は、そんな美しい光景を簡単に打ち壊してしまいます。
帰国が許された人々は神殿の再建に取り掛かりますが、現実には利害が交錯し、一つ思いになれませんでした。人々は「主がいてくださらなければ何も出来ない」と、嘆き歌います。
私たちが共同体を形成していく時、そこには理想と現実のギャップがあります、争いもおきます。些細な事が人々を仲違いさせるのです。それは神さまが喜ばれることではないと知っていても、人は、正しさを主張することばかりで、自身が赦されていることを忘れるのです。私たちが共に座る場は感謝する場なのだということをこの詩と共に覚えていたいですね。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分
の量る秤で量り与えられる。」マタイ7:1-5

冬休み明け、子どもたちはきっとお友達と席を並べて座ることを、心から喜ぶことでしょう。そして素直に神さまに「なんという恵」と感謝することでしょう。その気持ちが時には期待のあまりぶつかる事も起きるでしょう。それでも毎日新たな思いで、友達と出会い、友がいてくれることを喜んで、新しい発見や遊びを生むことでしょう。そんな光景を目にしながら『見よ、兄弟が共に座ている。なんという恵み、なんという喜び。』と言う聖句を味わいたいと思います。

園長 富田なおみ